![]() ↑当時のトンネルで、灯もなく、小説の中での書いてあるのが 「南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた」 「トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫うわれた峠道が稲妻のようにながれていた。」 上の写真のイメージだと思います。 ![]() ↑天城トンネルを越えて、湯ヶ野温泉へ向かいます。 目指すは「福田屋」、川向こうに福田屋さんが見えてきました。 ![]() ↑ここが小説伊豆の踊り子を書いた温泉旅館の福田屋で、正面の2階が川端氏が宿泊した部屋になります。 ![]() ↑玄関の前にはやはり「踊り子」の像が・・・ここも中を見せていただく事に・・・ ![]() ↑ 階段を登り二階のこの部屋が川端氏(学生)が執筆し泊った部屋となります。 当時学生だった川端氏に「貴方は旅芸人達と同じ木賃宿(雑寝するような名も無い安い宿)に泊まるような方ではない、自分達とは違うんだから・・」踊り子のお兄さんに、この宿を紹介されたそうです。 ![]() ↑ ロケ撮影のカメラアングルと同じく、部屋から写しました。百恵ちゃんがかわいい ![]() ↑ この部屋から共同浴場が見えます。 共同浴場で踊子が入浴していて、裸で手を振るのを見た時の描写です。 小説の中のクライマックスかも知れません…。 小説のなかに 「ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ 飛びおりそうな格好で立ち、両手をいっぱいに伸して何か叫んでいる。手拭いもない真っ裸だ。 それが踊り子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、 ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけた喜びでまっ裸 のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。 私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。 微笑がいつまでもとまらなかった。」 川向こうに見えるのが現在の共同浴場で、昔は堤防はなかったそうですが・・・ 踊り子の代わりに見えたのは、裸のお爺ちゃん・・・(笑) ![]() ↑この写真は、逆に学生であった川端氏を踊り子達が風呂から見たときの光景になる。 ![]() ↑ 小説の中での主人公、学生の川端康成が3泊し、踊子と五目並べをしたとの記述がありますが この碁盤と碁石がその実物です。 ここに泊まられた方が碁石を記念に持ち帰るらしく、減ってしまったと・・・ 私は持ち帰りませんでしたが「KAZE」の文字に並べてみた。 ![]() ↑ ロビーには、後に国民名誉賞になった寅さんこと渥美清が泊まったコメントや、棟方志功の版画なども飾られてた。 ![]() ↑階段登ってすぐ太宰治が東京八景を執筆していた部屋になります。 ![]() ↑明治作られたお風呂も当時のまま残っていて「榧(かや)風呂」があり、宿のご主人に案内されて中を見学していたら、入りたいという願望が…、なんとも、レトロなお風呂で、シャワーもありませんし、洗い場も狭くて石鹸の泡が浴槽に入りそうだが、入ってきました。浴槽が榧(かや)で出来ており古いためにゴツゴツとした何とも貴重な体験だった。 ![]() ↑当時の宿帳です。「太宰治」や「井伏鱒二」の名前があります。太宰は「井伏鱒二選集」後記も書いていますし「川端康成へ」という本も出していたかと・・・ ![]() ↑宿の居間が展示室みたいになっており、そこには川端氏に纏わる踊り子を中心とした写真等が展示されています。 タバコ(写真右)は川端氏が死ぬ直前まで吸われたタバコらしいです。 ![]() ↑初代の田中絹代に始まり、左が二代目美空ひばりで、右の写真が三代目鰐淵春子となります。 ![]() ↑左の写真は4代目吉永小百合と高橋英樹で、右側が5代目内藤洋子と黒沢年男になる ![]() ↑記憶に新しい6代目山口百恵と三浦友和との共演、初代の田中絹代の写真だけが抜けてしまいした。 ![]() ↑なぜか絵画の大御所「梅原龍三郎」の琵琶の絵がありました。驚きです!理由聞くの忘れました。 ![]() ↑川端康成氏が再び訪れた部屋から窓に外を見ているショットです。同じアングルで写してみた。 ![]() ↑福田屋さんを出て、踊り子達が入ってた風呂へと行きました。 風呂から出たばかりのオジサンが入ってもいいよと言ってくれましたが、 先ほど入ったばかりだったので、またきますと行って男風呂だけ写して 女風呂はご近所さんで賑わっていました。 ![]() ↑福田屋さんにあった生原稿です。当時の光景が蘇ります。 親切なご主人に「又来ます!」とお別れして、夕暮れの川沿いを散歩・・・ 改めて、伊豆はいいところだな〜〜 陽が傾きかけた天城路を「今日は良かったね〜」と・・・・
天城路を 共に歩きし秋の日の 天城へともどる |