歴史と文化の国府津館
 20年前程に何度か訪れ、魚が美味しかったからと、日頃の感謝の気持ちという事で いつものメンバーで行ってきましたのは相模の国は「国府津館」という創業明治21年の老舗料理旅館です。
 
撮影:2010.01.28
↑箱根を越え、西湘バイパスに入り相模湾を見渡しながら目指は国府津!
↑正面玄関となります。
↑海の見えるお部屋に通されましたが、このお部屋「渋沢栄一」「幸田露伴」「尾崎一夫」等々
著名な方達も泊まったお部屋とか・・いかに多くの才人に愛された宿かが分かります。
↑鴨居にかかっている書は「西園寺公望」の直筆の書だそうです
 「水天一碧楼」
西園寺公望は 第12・14代内閣総理大臣です
↑ 料理を予約しますと、貸切のお風呂を用意してくださいました。
脱衣場にかけてある鏡もレトロでして、三越デパートの前身の三越呉服店の時の物で…
温泉ではなく古いのですが、清潔感あるいい風呂でした。
風呂入ってる者はいつものメンバーです^ ^
↑前菜は鰯の南蛮漬け、セロリのきんぴら等々 さよりの刺身は春を感じます
料理はすべてその日の仕入れ次第、目の前に広がる相模湾の幸づくし
取りあえずビールで乾杯〜〜!次は冷で〆張鶴ね^ ^
↑目鯛の焼き物に ひらまさ、ホタテ、平目のお造り  どれもプリプリ感で新鮮でした!
↑ベイ茄子の鳥味噌(茄子を揚げずに蒸してあります) 揚げ物はヒラメ 
この他、  香の物 椀 御飯 デザートは栃乙女 コーヒー
二時間かけてゆっくりとお料理を堪能しました
料理は勿論満足いくものでしたが、私がこの旅館にこだわった理由はもうひとつありました
明治から昭和に至るまでの政財界の著名人や名だたる軍人、文化人がこの旅館に残した足跡でした
旅館のご主人に案内して戴いた別の部屋には
渋沢栄一の書  「春 馳せて 随気 浮く」
渋沢栄一 日本資本主義の父と呼ばれた方ですね
山本五十六 26,27代連合艦隊司令長官の真筆になります。
「あさみどりすみわたりたる大空の ひろきをおのが心ともがな」
昭和18年(1943)ソロモン諸島で戦死する1年前の書だと宿のご主人談

この旅館には大将の位の軍人がかなり宿泊していたようです
陸軍大臣大将「宇垣一成」参謀総長大将「鈴木壮六」同「金谷範三」
満州北支からの凱旋将官の多くの大将と呼ばれる方々など
その当時、東海道線は丹那トンネルがまだ開通していませんでしたから
この軍人さん達は、御殿場線で国府津まで来て、ここで、禊をし、
白の正装に着替えてから宮中に出向いたとのことです。

(女将さん談)
沢山の文学者も訪れています。
 幸田露伴、島崎藤村、福沢諭吉、志賀直哉、宮沢賢治、有島武朗 坪内逍遥、宮本百合子、柳田邦夫 円地文子、尾崎一雄等などが宿泊したり、 ここで執筆したとのこと

太宰治の代表作「斜陽」に関してもこの旅館でドラマがあったようです
かつてこの旅館で太宰治と太田静子が逢瀬を楽しんだということですが
ここで、『斜陽』の原案ともいうべき太田静子の「斜陽日記」の受け渡しをめぐって 二人の間に話し合いが行われたとも言われています
伊豆の知人を訪ねたりかつて住んでいた三島へ行ったりする太宰には途中駅が国府津であり
この近く下曽我の大雄山荘に住まいしていた大田静子と会うには格好の場所だったのでしょう
大田静子が相模湾を見ながら書いた「斜陽日記」を元に太宰はこの後沼津三津の安田屋旅館に滞在し
駿河湾を見ながら「斜陽」を書き始めます。
太田静子のこの日記は太宰が自殺した後に井伏鱒二らによって返されたそうです。
伊豆河津の福田屋や湯ヶ島の湯本館で聞いた太宰治、井伏鱒二の交友関係がここでも出てきました

↑ 「国府津館」の庭を抜けて、相模湾の海を見に行ってみました
箱根から伊豆の山々が見えます…この海岸を多くの著名人も散歩していたのでしょうね〜
↑ 帰りに立ち寄った「曽我の梅園」はもう七分咲きで、馥郁たる梅の香が・・・
この辺りで生まれた二宮金次郎(尊徳)の遺髪塚です!
↑ 梅園近くに大田静子の住んでいた「大雄山荘」がありました。
そこを見て見たかったのですが・・・
昨年、12月26日未明に不審火で全焼してしまったそうで見ることはかないませんでした
太宰と大田静子もこの曽我の梅園で逢瀬を重ね、国府津館でも二人で美味しい魚も食べたことでしょう
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