↑
山本五十六 26,27代連合艦隊司令長官の真筆になります。
「あさみどりすみわたりたる大空の ひろきをおのが心ともがな」
昭和18年(1943)ソロモン諸島で戦死する1年前の書だと宿のご主人談
この旅館には大将の位の軍人がかなり宿泊していたようです
陸軍大臣大将「宇垣一成」参謀総長大将「鈴木壮六」同「金谷範三」
満州北支からの凱旋将官の多くの大将と呼ばれる方々など
その当時、東海道線は丹那トンネルがまだ開通していませんでしたから
この軍人さん達は、御殿場線で国府津まで来て、ここで、禊をし、
白の正装に着替えてから宮中に出向いたとのことです。
(女将さん談)
沢山の文学者も訪れています。
幸田露伴、島崎藤村、福沢諭吉、志賀直哉、宮沢賢治、有島武朗
坪内逍遥、宮本百合子、柳田邦夫 円地文子、尾崎一雄等などが宿泊したり、
ここで執筆したとのこと
太宰治の代表作「斜陽」に関してもこの旅館でドラマがあったようです
かつてこの旅館で太宰治と太田静子が逢瀬を楽しんだということですが
ここで、『斜陽』の原案ともいうべき太田静子の「斜陽日記」の受け渡しをめぐって
二人の間に話し合いが行われたとも言われています
伊豆の知人を訪ねたりかつて住んでいた三島へ行ったりする太宰には途中駅が国府津であり
この近く下曽我の大雄山荘に住まいしていた大田静子と会うには格好の場所だったのでしょう
大田静子が相模湾を見ながら書いた「斜陽日記」を元に太宰はこの後沼津三津の安田屋旅館に滞在し
駿河湾を見ながら「斜陽」を書き始めます。
太田静子のこの日記は太宰が自殺した後に井伏鱒二らによって返されたそうです。
伊豆河津の福田屋や湯ヶ島の湯本館で聞いた太宰治、井伏鱒二の交友関係がここでも出てきました
|