下田…黒船来航の陰で…
お吉が淵のお吉桜が咲いてる時に合わせて、以前から下田には勝海舟や吉田松陰も係わる話などあり、この機会にと下田へと向かった。
お吉が身を投げた3月27日には「お吉祭り」が開かれるようですが、 お吉さん、結局は下田の人達にいじめられ、蔑まれて世を儚んで死を選ばずにいられなかったのだと… 幕末の黒船来航の陰で犠牲になった女性がいたということを紹介します。
 
撮影:2010.03.20

↑現在、下田港内の観光黒船
↑お吉が最後に身を投げたお吉ヶ淵、下田蓮台寺の稲生沢川の淵に咲くお吉桜です。

「宝福寺書」によれば、お吉は本名を「斉藤きち」といい、14歳で芸妓となり 評判の美貌でそれが奉行所の目にとまるとこととなり、17歳の時、法外な年俸と 引替に心ならずもアメリカ総領事タウンゼントハリスのもとへ侍妾として奉公に あがることとなります。
ハリスの妾だったと世間の罵声と嘲笑をあびながら貧困の中に身をもちくずし 明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしま います。 波瀾にみちた51年の生涯の哀しい終幕でした 。

お吉桜が咲いている傍にお吉の碑が建っています。
        から草の 浮名の下に枯れ果てし 君が心は 大和撫子 

 ↑玉泉寺
お吉さんと言えばハリスを忘れては片手落ち?
お吉が仕えたハリスは歴史の授業にも出てきた人ですが・・・
下田の「玉泉寺」へと来てみました。

ペリーが来て2年後の1856年に、日本総領事に任命されたタウンゼント・ハリスが
玉泉寺にアメリカ領事館を設置しました。

アメリカ人が来た為でしょう。このお寺に「日本初の屠殺場」の碑や
牛乳を始めて飲んだ碑がありました。

 ハリスが来た2年前、ペリーが下田に上陸した時に吉田松陰はこの下田に現れました。 憂国の志士吉田松陰は、弟子金子重輔と共に柿崎弁天島の祠に身を隠し、 夜になって、弁天島の浜辺より小舟漕ぎ、米艦ポーハタン号へ向いました。 尊皇攘夷の嵐の中で海外の事情を探るべく密航を企てましたが、ペリーに拒絶され、拘禁されました。
↑拘禁されていた跡に建てられた碑
時に寛永7年3月27日の夜の事だったそうです。 時期は少し違いますが、先の唐人お吉さんが身を投げた日が3月27日 吉田松陰が米国の船に密航しようと企てたのも3月27日 今日訪ねたキーワードは3月27日でした。 老中の間部詮勝の暗殺を企て失敗した松蔭は安政の大獄により処刑されました。 享年29歳という若さでした。

彼の辞世の句
     身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
新渡戸稲造が詠んだお吉さんの句には「大和撫子」とあり、 松蔭の辞世には「大和魂」とあるのも奇遇かと・・・ 松蔭、龍馬…あの時代を駆け抜けて行った若者達を駆り立てたものって何だったのでしょう? 日本初の商社と言われる亀山社中を作った龍馬など、早く生まれ過ぎたのでしょうか? でも、あの時に彼等が動いてくれたから今の日本があるのですよね。

時はお彼岸です。「大和撫子のお吉」「大和魂を持つ松蔭」を偲んでみた

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