木花咲耶姫のいざない・・・村山古道
2010年8月16日
最近になって「村山古道」という平安時代に修験者が登ったという最古の登山道があるという事を知りました。 平安末期、1000年前に開かれた富士山最古の登山道は100年間に廃道になったままであったとのことです。 地元の有志によって全ル−トの解明はできましたが部外者では辿れないであろうとのことで先達・畠堀氏らの努力により村山古道の全容が明らかになり、今「村山古道」は甦りました。 その村山古道の再生にご尽力なさった 畠堀さんからのご招待で「村山浅間神社」の祭礼の写真を撮りに行く事になりました。

↑木花之佐久夜姫命(木花開耶媛命)をご神体とするこの神社は、富士山南麓の標高500メートルにあります。

↑樹高47m、樹齢千年といわれる大杉のご神木があります。

↑社伝によると孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ケ岳に創建され、崇神天皇朝に神領地や
神戸を賜り、応神天皇朝に社殿修造、大宝元年(701年)に現在地へ遷座したそうです。

↑氏子の方達しかいらっしゃらない神事に参加させて戴くことになりました。
粛々と進む儀式をゆっくり見学させて戴きました。
↑装束を身に纏った方が10人位、天狗の面を付け衣装をつけた方・・・

↑そう言えば、この神社のお印は「天狗のうちわ」です。 天狗がお守りしているということなのでしょうか?

↑霊峰富士には天狗も似合います。

↑神主さまの詔、玉串奉天の後、「木花之佐久夜姫命」の「みたましろ」を神輿の中へお移しして田子の浦の見える高台まで運びます。

↑祭神の木花之佐久夜姫命「このはなさくやひめ」は富士山の神様とされています。
この女神は桜の化身といわれるほどの美しい女神で、じつは神話で名高い海幸彦と
山幸彦の母でもあります。 山幸彦はのちに竜宮で龍神の娘と結ばれ
、その孫が初代の天皇(神武天皇)に なるようですが・・・?

神社から100メートル位の所に田子の浦が見渡せる場所があります。 その場で又神事が始まります。

木花之佐久夜姫命の「みたましろ」を乗せた 神輿を富士山が見守っていました

↑畠掘氏も氏子さんの中に参列し・・・所謂普通のお祭りとは違う、おごそかな神事で
、決して、派手なものではありませんがとても興味深く拝見させて戴きました
注:今回招待してくれた畠掘さん、富士登山の第一人者でもあり神様とも呼ばれている方です
↑神社のすぐ脇に「富士山、村山口」があります。毎年7月にはここで富士山の開山式が行われるそうです

↑石畳が整備されています! 1000年以上前からこの道で富士山へ登っていたと考えると不思議な気がします

↑我々一行は涼しさを求めて、その足で富士山へと向い、6合目宝永山荘の女将さんに村上浅間神社の話をして、宝永山へと向かいます。

↑宝永山で出会った学生さん達、顔を歪めて苦しそうに登ってくる。
「どこから登ってきたの?」
「田子の浦から村山古道を登ってきました」と、息遣い荒く、話しをしてくれた。
驚きでした!村山古道のお話を聞き、見てきて、そこの入り口にある神社の祭礼に
参加させて戴いた後に、この偶然に遭遇した九州からの若者達、
「木花之佐久夜姫命」の粋な計らいでいざなったのでしょ〜!
(デジカメのマクロ撮影に設定したまま写したら3D画像になってしまいました)


風濤社・畠堀操八著『富士山村山古道を歩く』  参照
表口登山道・村山口登山道の復活 −富士山クラブ会員 畠堀操八氏(藤沢市在住)
-村山古道復活記念 富士山完登プロジェクト2005
村山古道復活に向けての畠堀さんの記事等があります

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