久能山東照宮
久能山東照宮を紹介、何度か訪れて見ましたが今回は国宝に指定されるなど、遅ればせながらではあるが紹介してみる。
撮影 2010.11.?

↑冷たい冬空の下…三保の松原を抜けて走ります!

↑一ノ鳥居から1159段の石段はとても長く、 家康公の天下統一への長い道のりを感じながら歩きます!

↑長い階段ですが、家康公の遺訓にならって・・・急ぐべからず^^

↑ 振り返れば、駿河の海が・・・

↑山本勘介が掘ったという「勘介井戸」です!
以前に来た時から何故ここに山本勘介の名前が出てくるのかと疑問に思っていましたが…
久能山の歴史を知ったことで疑問が晴れました^^w
ここ久能山は、推古天皇の頃(600年頃)久能忠仁が初めて山を開き、久能寺を建立したそうです
永録十一年(1568)駿府に進出した武田信玄が、久能寺を今の清水市に移し、
この山頂に砦を造って久能城としましたが、武田氏の滅亡と共に徳川家のものとなりました。

↑重要文化財「楼門」 元和三年(1617)建造


↑本殿と拝殿を床の低い「石の間」でつないだ「権現造り」と称される複合社殿が特徴だそうです 権現造りは久能山東照宮を皮切りに、江戸時代を通じて全国に普及、発展していったようです。東照宮は現在も全国に600近くあるとされ、権現造り社殿の先駆けとなった最古の東照宮であることが評価されての国宝指定とか・・・ また、社殿が江戸幕府直営の建築集団の礎を築いた大工頭、中井大和守(やまとのかみ)正清(1565〜1619年)の代表建築の一つであることも評価されたとのこと。

↑唐門の彫刻など日本古来の建築様式「和様」を基調に、要所に極彩色や金工、彫刻を装飾し表情豊かで華麗な造りとなっています

↑家康の御廟所へ向う道には灯篭が・・・

↑元和二年(1616)家康公は75歳で薨去、遺言によりここに葬られました。
「みまかりし後は、柩を久能山に納めて神に祀り、葬儀は江戸・増上寺、
位牌は三河の大樹寺に・・・。一周忌の後は、日光山に堂を建て我が霊を
まねくべし。 死して関東の鎮守とならん。」 御霊の一部が日光東照宮へと・・・

↑ 久能山からの駿河の海、大崩海岸までが見えます、眼下には苺のビニールハウスが並んでいます。

↑初代徳川将軍家康は駿府で亡くなり、最後の将軍徳川慶喜も最後は駿府へ…など考えながら登ってきた階段を下って帰路へと

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