侠客 清水次郎長
 清水湊にネギトロ丼を食べにいったが、今日は3連休の初日、土曜日とあって、お店は混雑、予定を変更して馴染みの天丼屋へ、そこでも混雑、急遽、アナゴ天丼の持ち帰りを頼み、マグロのカマの刺身を買って岸壁で食べる。のどかな岸壁では鵜とカモメが歓迎で刺身も天丼も・・・思わず...旨い! また、久能の石垣イチゴ狩りした気分でデザートは紅ホッペって新種の苺パックを購入、これまた岸壁で食する、うまい....笑

 清水湊といったら、ちびまるこ...じゃなかった次郎長親分! さっそく清水次郎長宅へ・・・親分いますかぁ〜〜と、そっと中を覗くと5代目にあたるという奥さんが応対してくれた。次郎長親分の血筋とは思えない愛嬌のあるお母さん、記念撮影もOK。 次郎長は明治維新を契機として侠客を廃業する。
 それを象徴するのが明治元年9月18日、勇気ある善行としての話である 清水沖で幕府の艦船と官軍の艦船の激戦で幕府の誇る咸臨丸等も撃沈されて、多数の幕府軍の遺体が港に浮いていました。哀れでもあり、また漁の邪魔にもなったが、しかし、それに触れば官軍からお咎めで、漁民たちも手が出せずにいました。 そのことを聞いた次郎長は子分に港に浮かぶ遺体の回収作業をおこなって、丁寧に埋葬し石碑までを建ててやりました。 その後、山岡鉄舟(勝海舟の腹心)と次郎長の交流は、彼の人生観を大きく変えたと伝えられています。私の知人で森町(森の石松出身)のお爺さんの話では東海道を歩く清水次郎長一家、それはそれは恰好良かったと聞かされたと話してくれた。


【次郎長の生家(次郎長通りより)】

【幼少の頃は、この囲炉裏で熱燗でも.....笑】

【床の間には写真と刀と酒が・・・】

【蓑?なんて言うかな?あせた色でも当時の名残りが】

【次郎長さんの産湯はここから?】

【裏口からみた細長い家屋敷は、当時の税金対策だとか】

【近くには大政、小政に守られた次郎長さんの墓】

【帰りの道はすっかり夕暮れで由比PAより】
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